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金沢家庭裁判所 昭和58年(少)1117号 決定 1983年9月14日

少年 M・K子(昭四〇・八・一一生)

主文

少年を中等少年院に送致する。

理由

1  犯罪事実

(一)  本件犯行に至る経緯

少年は、長野県松本市に出生し、小学校六年生のときに父親を胃癌で無くし、病気勝ちで働けない母親に代わつて中学卒業後縫製工として働きだした長女の給料と僅かな厚生年金等で生活するようになり、経済的には恵まれない幼少時代を過ごしたが、小・中学生時代には、特段の生活の乱れもなく、特に、中学生時代には部活動に熱心で、各種委員として活躍する傍ら、家庭でも病弱の母に代つて家事を手伝うなど、順調に社会性を身につけていつた。

高校入学後も、少年は、フオーク・ソング部に入つて活躍するなど明朗活発な学生生活を送つていたが、少年の入学した高校がもともと少年の希望した高校ではなかつたこと、上級生から男女交際のことで嫌がらせを受けたこと、将来の目標を持ちえなかつたことなどの理由で、一年生の二学期ころから次第に勉学意欲を失いはじめるようになつた。そのころ、少年は以前から交際を求められていた本件共犯者Aの友人Bと交際するようになつたが、Bが他の女生徒に心を移したことから、少年の相談相手になつたAと親しく付き合うようになつた。

Aと交際するようになつてから、少年の帰宅時間は次第に遅くなり、母親の再三に亘る注意にもかかわらず一向に改まらず、二年生の新学期早々、Aとともに学校を無断欠席しAの家にいるところを、同人の母親に見つかり強く叱責されたことから帰宅しづらくなり、Aとともに同人の祖母方に無断で忍び込み、一夜を過ごすに至つた。少年らの外泊は、学校の知るところとなり、保護者らも警察に家出人捜索願いを出すという騒ぎになつたため、ますます帰宅しづらくなつた少年らは友人宅に泊まり、翌日友人の母親に説得されて、それぞれ自宅に戻つたが、当夜、再びAから少年に電話があり、家出の相談を持ちかけられた。

少年としては、Aとの交際を反対されたことに対する不満を募らせていたこと、この時点では、既に完全に勉学意欲を失つていたこと、無断外泊をしたことにより学校から処分を受けるであろうことなどから、Aとともに家出することを決意し、キヤツシユ・カードで当座の生活費として六八万円を引き出し、長野、直江津を経て、昭和五七年四月二一日金沢市に至つた。猶、この間、少年は直江津ではじめてAと性交渉を持つに至つた。

少年とAは、旅館代等に持参した金銭の大部分を使い果たした後、それぞれ○○○○、同○△の偽名を用い、不動産屋の紹介で金沢市内にアパートを借り、少年は靴屋店員として、また、Aは弁当屋の店員として働きはじめたが、それぞれ勤め先に対する不満から僅か一週間位で辞めている。その後、生活に窮した二人は、一旦松本に戻り、少年が預金通帳から当座の生活費として三万円余りを引きだした後、再び金沢へ戻り、少年は、新たにパーラー店員として働きだしたが、Aは、当初こそ職捜しに奔走したものの、運転免許を要するところが多くなかなか適当な仕事が見つからなかつたこと、少年が稼働したことにより何とかなるであろうとの気持ちから、次第に勤労意欲を失い、殆どアパートに閉じこもつたままの生活を送るようになつた。一方、少年も、何とかその日その日を喰いつなぐという生活のなかで、将来の展望もなく、Aとの会話も少なくなり、今更松本に戻ることもできず、このまま何とかやつてゆくしかないという諦めの気持ちになつていつた。

少年は、同年八月ころ、妊娠したことに気づき、その旨をAに告げたが、同人からは直ちに中絶するように言われ、少年自身も子供を生んで育てるつもりはなかつたが、その日の食費にも事欠く生活のなかで中絶のための費用もなく、不安と恥ずかしさから一人で病院へ行くこともできず、また、家出してきた以上、今更母親に相談することもできないという気持ちからなす術もなく無為に日を過ごしていつた。この間、Aからは何度か中絶するようにとの話があつたが、少年は、曖昧な返事をするのみであつた。同年一二月ころ、Aは、中絶手術のための費用を調達するために、少年にも告げず、松本の母親の許へ戻り預金通帳を持ち出し、四三万円余を引き出し、少年に手渡したが、少年は病院への同道をAに拒否され、一人で病院へ行く決心もつかないまま日を過ごすうち、Aの持ち出した金も家具等の購入費用や食費等に使い果たしてしまつた。このころになつても、Aは、一向に働こうとせず、アパートに閉じ込もつたままで、十分な食事もとつていなかつたため歩行が困難となり、空瓶に排尿するという始末であつた。また、このころには、少年とAの仲は完全に冷めきつており、少年としては、一向に働こうとしないAに愛想を尽かし、もはや一緒にやつてゆけないという気持ちになつていた。この間、胎児の処置については、Aは中絶しろというばかりで、それ以上真剣に話し合おうとしないし、少年も胎児は既にお腹の中で死亡しているようだとか母に相談して何とかすると返答するだけであつた。

翌昭和五八年三月過ぎころになると、少年のお腹も大きくなり、もはや出産は避けられない状態となつたが、少年もAも子供を育てる意思はなく、子供が生まれたときのことについては、努めて考えないようにしていたものの、四月ころになると二人とも生まれた子供は殺すしかないと考えるようになつた。

少年は、五月三日午後一〇時ころから陣痛を訴えだし、次第に強まつてくる痛みと不安からAに救急車を呼んでくれるよう頼んだが、Aは、入院費がないとか居所が親元に知れてしまうとして少年の再三に亘る懇請にもかかわらず救急車を呼ばないまま少年を放置し、少年の呻き声が大きくなると、これが外に漏れるのを防ぐため、少年にハンカチを銜えさせた。断続的な陣痛が続いた後、少年は、翌四日午前二時ころアパートのベッドの上で女児を分娩した。

(二)  罪となるべき事実

少年は、昭和五八年五月四日午前二時ころ、石川県金沢市○○町×番××号○○アパート二号室において女児を分娩したが、その処置に困り、Aと共謀し、殺意をもつて、Aにおいて、右手で同児の顔面及び口を押さえ、左手で腹部を押さえて圧迫し、よつて、そのころ、同所において、同児を脳機能麻痺等により死亡させたものである。

(三)  犯行後の状況

Aは、嬰児の死亡を確認した後、死体をビニール袋に包み、分娩の際使用した汚物とともにダンボール箱に入れ、一旦四畳半の別室に運んだ後、押入れの中に隠した。一方、少年は、分娩後アパートの共同便所へ行き、胎盤を排出し、これをビニール袋に入れ、台所のごみ袋に捨てて廃棄した。

その後も、少年とAは、アパートで同棲生活を続けたが、既に両者の仲は冷えきり、会話も殆どない状態であつた。

少年は、その後、勤務先の喫茶店に客としてきていたCと交際するようになり、同年六月に初めて同人と性交渉を持ち、その後も交際を続け、七月二六日、Aを残し、金沢市○△町のアパートへ引越した。そのころ、少年は、勤務先の店主から妊娠していたのではないかと追及され、事情を明らかにしたところ、これに驚いた雇主から親に連絡をとるように言われたが、単に送金依頼をするだけで、嬰児のことについては一切触れなかつた。そのうち、Aが生活費に窮し自転車窃盗をしたことで、警察から連絡を受けたAの母親と叔父がアパート清掃中に、腐爛し異臭を放つ嬰児の死体を発見し、本件が発覚するに至つた。

2  適用法条

上記罪となるべき事実は、刑法一九九条、同法六〇条に該当する。

3  処遇理由

本少年は、幼くして父親をなくし、経済的に恵まれない幼少時代を過ごしながらも、小・中学校と特段の生活の乱れもなく、順調に自我を芽ばえさせ、社会性を身につけてきており、知能も正常で、その価値観についても、同年代の少年に比較し、特に偏りの認められないことは、鑑別結果通知書の指摘するとおりであつて、本件はある意味では、性を開放的なものと考える社会的風潮のなかで、未熟な一七歳の少年が、異性との交際、家出、妊娠、出産という環境の激変に適切に対処しえないまま、性の冷酷な逆襲を受けたもので、本少年ならずともとの感を抱かせるものである。しかも、少年が、特段の犯罪歴や顕著な虞犯的傾向を有しないことを併せ考えれば、少年に必要なのは矯正教育ではなく、自らの犯した罪について責任をとらせることであるとも考えられ、本件の社会に与える衝撃の大きさからしても、むしろ保護処分ではなく、刑事処分の可能性を否定し得ない事件である。

しかし、翻つて考えれば、環境の激変とは言え、それは少年が自ら招いたものであり、上記犯行に至る経緯を見ても、少年には、本件のような悲惨な結末に至る前に幾度も引き返す機会はあつたし、一七歳とは言え、自ら解決できない問題については、他に相談する知恵も備わつていた筈である。少年の周囲への配慮を欠いた自分達のことしか考えられない視野の狭さと、将来に対する確たる展望もないまま周囲の状況に流されてゆくという成行き任せの行動傾向はやはりこの機会に矯正されるべきものであり、今後、同様な危機的状況に直面したとき同じような悲惨な結果を起こすことのないよう適切な判断力を身につけさせる必要性は否定できない。

また、本件は、両親の掌中に生命を委ねた無限の可能性を秘めた嬰児の生命を、自らの身勝手さのために親としての責務を放擲して断つという重大且つ悪質な犯行であるにもかかわらず、犯行後の少年の行動を見ると、嬰児の死体を生ごみでも扱うかのように押入れの中に放置したまま、その同じ部屋に起居し、産後の体力が回復するや他の男性と安易に性交渉を持つなど、事件の重大性についての認識が必ずしも十分でないと思われる節がある。

他方で、少年の家庭は、既に見たとおり父親がなく、また、病弱の母親に代わつてこれまで一家の生活を支えてきた姉は、現在母親と別れて生活しており、定職のない母親は、むしろ少年を頼りにしている有様で、少年に対し十分な監護ができない状況であり、少年が今後母親と共に生活を建て直してゆく決意を示し、それについては母方伯父夫婦が協力を申し出ているにしても、今後の住居を選定し働き先を見つけるなど、なお環境の調整が必要である。

以上の様な諸事情を考えれば、少年の危機場面に対応しうる能力を培い、また、貴重な生命を自らの身勝手さのために奪つてしまつたという事実につき十分に反省する機会を与える一方で、少年の退院後の生活環境を調整するためにも、少年を少年院に収容するのが相当であり、少年法二四条一項三号、少年審判規則三七条一項ならびに少年院法二条三号をそれぞれ適用して、主文のとおり決定するが、既に見たとおりの少年の性格、価値感の偏りがそれほど大きいものではないこと、少年は、既に相当期間身柄を拘束され、その間次第に反省を深め、また更生への意欲を示してきていることを考えれば、現在の少年の更生への意欲の芽を摘みとるほどの長期の収容は、むしろ有害であると考えられるので、少年審判規則三八条二項に則り短期処遇がなされることを勧告する。

(裁判官 原田晃治)

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